今回の一時退院許可の大きな条件としては、以下のふたつ。
- 血液検査の結果が一時退院するにあたって問題無い範囲であること
- 自力で栄養を摂れるようになっていること(≒普通に食べられること)
1に関しては、抗がん剤投与によって出た副作用が治まってこないことにはどうにもならない、自分の体であっても行動でどうにかできるものではないのでしかたがないとして、後者に関しては(副作用が強くてどうしようもないときはさておき)自身の意志と行動でどうにかできる範囲。
ちなみに食事に関しては、彼は病院食が嫌い(家のご飯と比べて味が劣るのと、メニューのバリエーションが少ないというのが主要因)ということもあって、とにかく食べない。
治療過程でほんとに食べられない期間が続くと高カロリー輸液が入るのを知っているので、食べなくても何とかなるというのを学習しているのがそれに拍車をかけて、体調が回復してからも食べない期間が続いた。
が、今回は体が低栄養状態になっているのもあって、これまでそれほど厳密に問われていなかった食事に関して、2の条件を出されたので、いきなり食に対する姿勢が変わった。
彼のなかで、「家に帰れば食べればいい」から「食べないとそもそも出られない」に理解が変わったことで行動が変わった。
これって色々なことに通ずるのではないかなと思ったのだが、例えば義務教育の時と社会人の時の勉強に対する姿勢なんてのも、根っこは同じなんじゃないかなと。
もちろん治療に関しても同じで、最初に医師から本人への告知について話があったときも「病気について知らないと、なぜ治療が必要なのかがわからないので頑張れない」という主旨の話があって、その時はまあそうだよねと表層的な部分での理解だったけども、今回の「食べる行動」の変化を目の当たりにすると、やはり因果関係の理解、何の為にそれをするのかというのが腑に落ちないとなかなか行動は変わらない、逆に言うとそこが腑に落ちれば行動はおのずからついてくるというのを実感した。
よくよく考えると、そんな「繋がる瞬間」というのは生活・仕事のあらゆる局面で普通にあることなんだけれども、意識を向けないとなかなか気付かないなあと。