学校の体育祭が間近に迫っているものの、まだ退院したばかりで体力や薬の副作用による足の機能の低下(一過性)に懸念のある息子は、自分が思うように参加できないもどかしさを強く感じているもよう。
そんな息子、日直になったときに、クラスメイトに対して「やりたいことができないのがもどかしい。やりたいことをできるみんなが羨ましい」という主旨のことを発言したらしい。
すると、それまで「体育祭なんて面倒くさい」と関与が消極的だった一部の生徒の関わり方が良い方向に変わったそう。
身近にやりたくてもできない人がいるということを知り、自分の悩みが贅沢な悩みだったことに気付いたのでは、というのは担任の弁。
もらい事故のような病気ではあったけれども、自分自身だけでなく他者に対しても影響を与えられるということを本人が気付いたかどうかはわからないけれども、もしそういう作用を認識して、そこに存在意義を見出すことができるならば、彼にとっても良いことなんじゃないかなと思った。